広島高等裁判所 昭和25年(う)4号 判決 1950年4月20日
被告人
矢田部治
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人西川倉夫の控訴趣意について、
(前略)所論は「右手で肩を押え左手でシヨールの前の方を掴んで斜上に引張ること」が殺人の方法として生半可なことであるといふけれども右の方法による殺人も必ずしも不可能でないことは、右の方法により本件被害者が一時失神状態に陷つたことにより明らかなところで実驗則に反するものとはいえない。
(弁護人西川倉夫の控訴趣意)
原判決には、事実の誤認がある即ち公訴事実第一の殺人未遂の点に付ては無罪とすべきものを誤つて有罪と認定し其の結果被告人に過重の刑を言渡した不当の判決である。
第一原判決に於ては事実及証拠を
一、事実
被告人は山口縣豊浦郡川棚村北村向畔四四二四番地にて農業をしてゐるものであるが昭和二十四年三月四日午後八時過頃山口縣豊浦郡川棚温泉駅より温泉場である川棚村湯町に通ずる舖裝道路を自宅に帰る途中偶々同村湯町新生倶樂部内藤貴美惠(当二十六年)より同伴を求められ同女と同道したが被告人方への分れ道より僅かに湯町寄りにある藁小屋附近に到つた際同女を右藁小屋に誘引し情交を求めたが同女が之に應ぜず被告人を振切つて立去りかけたので被告人は同女の後を追ひ乍ら自己の非を詫び極力同女に謝つたが同女がさして快よい返事をしなかつたので世間態もあり自己の惡事が露見する事を恐れて茲に突嗟に同女を殺害して自己の非行を隱蔽せんと決意し同所附近で同女が掛けて居たシヨール(領第一号)で同女の首をしめつけた所同女が失神して倒れたので俄に狼狽し同女を附近の麦畑の中に引摺り込んだ上同女を其の場に放置して立去つたため右暴行により全治約一月を要する頸部における環状不規則な皮下出血、両側眼球結膜下出血、右頬部上眼瞼、右前頭部擦過傷を負わしたに止り殺害の目的を遂げなかつたが右暴行後其の場を立去るに当り同女がはめて居た腕時計一個並に現金約五千円革手袋財布化粧道具入りのハンドバツク一個を窃取したものである。
二、証拠(省略)
而して証拠中被告人の殺意認定に付て最も重要なのは
(二)の司法警察員並に檢察事務官作成の各第一回供述調書の記載
(三)の証人内藤貴美惠の供述
であるが之は証拠として採用すべからざるもの又は信ずべからざるものを誤つて信じて証拠として採用したもので不当であると思料する以下之に付て詳述することゝする。
(1) 司法警察員石原吉春作成の被告人の第一回供述調書の記載之は殺意の点を除けば殆んど被告人の第一、二回公判及檢証立会の際の供述と一致してゐる而して殺意の点の供述記載は
前略「私はどうせ惡い事をしたのだし女は許してくれない何れ朝になれば初めに家や名前こそ言つて居らないが矢田部眼科の近くだと告げて居りどうせ自分のした事は判かつて処罰されると思ひましたので女をいつそ殺して仕舞うかどうしようかと思案してゐる裡に前申上げました通行人の足音が近づいて参りますし湯町も段々近付くので瞬間的に殺そうと云ふ氣になり女の橫からバツト飛付き右手で女の右肩を押へ左手で女の掛けてゐたシヨールを掴んで斜上に引張つて女の喉をしめましたすると女は私にもたれ掛つて來る樣になりハツとして手を緩めますと女はバツタリ倒れました其の時には女は物を言はず動かなくなつて居り私は殺したと思ひました。
その時前方から人の足音が愈々近付いて参りましたので此の儘では発見されると思ひましたので急いで女の体を後から両手を脇下に差込んで斜橫にして麦畑の中に引づり込みました」
とあり之が殺意及其の実行々爲全部の記載であるが(中略)
右調書の前掲供述記載の内容を檢討して見ると之は実驗則に照し不合理なものである。
即ちシヨールを首に掛けて歩いてゐる人をそのシヨールで絞め殺そうとする者が橫から右手で肩を押へ利腕でない左手でシヨールの前の方を掴んで斜上に引張るだけの所謂生半可なことをするであらうか況んや通行人が近付いて來ると云ふやうな場合に於てをやである。
斯る場合万人が万人両手でシヨールの両前を交さくして絞付けるか又は唸倒して右のやうにして絞付けることが考へられるのである。
尚又右の記載中「すると女は私にもたれ掛つて來る樣になりハツとして手を緩めますと女はバツタリ倒れました」とあるは文意自体被告人が意外の結果を発生して驚いたことを意味してゐるのではないか、そしてそれ以上の行爲はしてゐないのである。
如何にしても人を殺す意思でやつた行爲とは受取れない実驗則に反する不合理なことゝ云ふべきである。此の点に付て被告人の第一、二回公判(第二回公判では証人内藤貴美惠に対する反対尋問の際)及檢証立会の際の供述(何れも公判調書及檢証調書に記載がある)を綜合すると被告人は「藁小屋を出てから湯町の方に向つて道路右端の方を女が右自分が左に並んで歩き乍ら女にすがりついて陳謝し肩に手をかけてさすつて居たが女は前に倒れかける樣にして歩き私を振切る樣にしてもう帰つて下さいと云ひますので私はそれを止める樣にして謝りましたその時肩掛けとは知りませんが引張つた所女が前にしやがむ樣にして倒れました」との趣旨の供述をして居り又証人内藤貴美惠は第二回公判に於て裁判長の時間関係の尋問に対し「川棚駅から湯町入口迄普通に歩いて二十分位かゝるのであるが此の時は午後八時一分位に駅を出て湯町入口の派出所に行つたのが午後八時四十五分であつた」と答へて居り(公判調書記載)之に相合傘で歩いたり途中の出來事を考慮に入れるときは被害者が失神してゐた時間は長くて十分位或はその以下の極めて短時間であつたことが判るのである。
以上を綜合して判断すれば前掲司法警察員石原吉春作成の被告人の第一回供述調書の殺意の点の供述記載に付ての前記(イ)の被告人の弁解陳述は首肯すべく而して右の記載は司法警察員石原吉春が先に被害者を取調べた際の主観的情況判断から被告人の殺意を推定し創作した事を被告人に押付けたものであり決して任意の供述ではないのであつて之を被告人の殺意認定の証拠としたのは不当である。(下省略)